国ごとの文化的なプロファイリングはファシリテーションに使えるのか?
Cross-culturalな環境でファシリテーションをするファシリテーターにとって、しばしば議論になるのが、多国籍グループをファシリテーションする際に、国ごとの文化的なプロファイリングをどこまでファシリテーションに応用するか?ということです。
これは、たとえば日本人ならコミュニケーションにこういう傾向がある、インド人ならこういう傾向があるという、文化的な特性を理解し、それに合わせたファシリテーションのアプローチをとっていくべきか?ということです。
国や地域ごとの文化的な背景から行動特性の違いを分析したさまざまなデータ、研究が世界にはあります。有名なところでは、ホフステードの6次元モデル(6-D model of national culture)や、Erin MeyerのCulture Mapなど、豊富なデータをもとに説得力のある考察をしています。
たしかに、さまざまな場でCross-culturalなグループをファシリテーションしていると、国ごとにいろいろと特性があるなと感じますし、先に挙げた有名な研究データは総じて当たっているな、と感じます。
そもそも統計というのはそういうもので、人をなんらかの属性でグループに分けて分類すれば、それぞれのグループに特徴が出てきます。国で切っても、性別で切っても、年齢で切っても同じことです。
ですが、その国の生活習慣や歴史、文化がコミュニケーションのスタイルにどう影響が出るかというのを考察するのはとても興味深いものです。
多様なグループをファシリテーションする経験を経るにつれて、文化の違いがコミュニケーションスタイルにどう影響するのか、関心を持つことが多くなり、そのような比較文化論を海外の方と議論するもの好きです。
文化的なグループで分類した違いよりも個人の違いの方が重要である
それでは、そのような文化的プロファイリングをファシリテーションに活用した方が良いのか?となると話は別で、私は、多国籍のグループをファシリテーションする際に、文化的なプロファイリングは一切考慮に入れないようにしています。
理由は2つあります。
1つは、国ごとの違いよりも個人の違いの方に意識を向けたいからです。
たしかに、私もCross-culturalな場のファシリテーションの経験が浅い時には、国ごとのコミュニケーションスタイルの違いに驚き、どの国の人はどんなスタイルなのか?どのようにアプローチすればいいのか、いろんな研究データを参照しながら傾向と対策的に取り組んでいた時期がありました。
多くの場合はうまくいきましたが、逆にそれが変なバイアスとなってしっくり来ないこともありました。
私自身、欧米系のファシリテーターが、日本人を交えたCross-culturalなグループのファシリテーションセッションで、文化的プロファイリングを引用して、「それぞれこういうコミュニケーション特性を持つグループだと理解してコミュニケーションを取りましょう」と示唆されたときには、ステレオタイプな日本人像を押し付けられている感じで、おおよそ人種差別に似た不快感を覚えました。
「日本人をそういう風に見下した感じで一括りにしないでくれと」という感覚です。
私がしっくりいかないと感じていたのは、参加者のそういう「私は、私という個人である」という感覚とのギャップです。
私は、Cross-culturalなグループのファシリテーションを経験するにつれて、国ごとのグループで特性をとらえるのではなく、一人一人がまったく違う特性を持つ個人である、ということを強く意識するようになってきました。
もちろん、参加する方の属する国の歴史や文化に敬意を表することは重要で、それらを事前にしっかりと学ぶことはプロとして当然準備しますが、参加者を文化的グループに分類してプロファイリングすることはしなくなりました。
もっともっと一人一人の違いに着目し、その場や人に適切なファシリテーションをすることを心がけるようにしました。そうすることで、どのような多様な人材の集う場であっても、安定したファシリテーションができるようになってきたのです。
Cross-culturalなグループゆえに生じる化学反応を阻害しない
もう一つの理由は、Cross-culturalなグループゆえに生じる化学反応を阻害したくないからです。
どういうことかと言うと、たとえば比較的おとなしい日本人のグループと、ひときわ活発なインド人のグループが混成するグループをファシリテーションするとしましょう。
経験上なんとなく想像できるのですが、最初は水と油のようにリズムが噛み合わなかったり、カオスのような状態になったりすることがあります。
そういうときに、おとなしい日本人を活気づけようとしたり、活発過ぎるインド人を少し抑えようとしたりと、バランスをとる、チューニングをするといった感覚のアプローチをファシリテーターは考えがちになるのですが、それは、一見うまくいくように見えて、グループダイナミズムのようなものが欠けてしまうことがあります。
Cross-culturalな場でポジティブな相互アクションが起こるのは簡単なことではありません。異なる文化がぶつかることで、葛藤や混乱、沈滞が時に生まれます。しかし場を参加者に委ねていると、やがて互いのコミュニケーションスタイルの違いに影響を受けて、個人の行動が変わったり、難しい中で関係性をつくろうとすることで、それまで見られなかった相互アクションが生まれたりすることがあるのです。
それらは、異なる文化がぶつかることでしか起こり得ない、化学反応だと思っています。
文化的なプロファイリングを念頭に入れたファシリテーションでは、文化の違いから何か不調和が生まれると考えてしまい、バランスを取ろうとするようなファシリテーションになってしまう傾向があると感じます。そうすると、せっかくの化学反応を阻害してしまうかも知れません。
私は、それを避けたいので、Cross-culturalな場では、今目の前で起こっていることと、文化的プロファイリングは常に切り離して見るようにしています。
ファシリテーションに正解はありません。常にその場で必要とされるファシリテーションをすることが大事だと思います。
Cross-culturalな場では、どんなファシリテーションが必要になるのか、その不確実さもファシリテーターにとっては魅力の一つだと考えます。
ですから、Cross-culturalな場ほど、傾向と対策の用意されていない、ドキドキするファシリテーションを私は楽しみたいのです。
(文責:株式会社ナレッジサイン 吉岡英幸)